大阪人とたこ焼き

大阪とは切っても切り離せない「ゴールデンコンビ」となった食べ物、それが「たこ焼き」。
いまや大阪だけのものではなく全国的に庶民のおやつ、おかずの一品として定着したこの食べ物がなんで「大阪」と頑なに結び付けられるに至ったのか。それを検証しよう。


西成区玉出「会津屋」が「たこ焼き」の元祖

大阪・新世界「かんかん」のたこ焼き(8個300円)
これが安うてうまい、大阪たこ焼きの王道。
たこ焼きの発祥と言われているのが、大阪市西成区玉出にある「会津屋」という店。(たこ焼き発祥当時は生野区今里新地で屋台を開いていた)
会津屋ホームページ
会津屋のホームページをご覧になると書いてあるが、たこ焼きの前身となる「ラヂオ焼き」(タコの代わりにすじ肉・コンニャクが入っていた)を、昭和8年に会津屋の初代遠藤留吉氏が中身にタコを入れて店で売り出したのが始まり、ということらしい。
だがさらに調べてみると、「ラヂオ焼き」の原型となった「ちょぼ焼き」という食べ物が既に大正時代に存在していた。大阪は既に工業化・近代化の波で各地から人が集まり「大大阪時代」と呼ばれていた頃である。そのような時代に下町料理は数多く生まれていたわけだ。
なぜ「ラヂオ焼き・ちょぼ焼き」と言うのかだが、ラジオのボリュームのつまみを「ちょぼ」と呼んでいたからだそうだ。

◆たこ焼きの原型が「もんじゃ焼き」??
しかし、もっと調べてみると「ちょぼ焼き」の原型は「どんどん焼き」(関西では「一銭洋食」)であり、そのさらに原型となったのが「もんじゃ焼き」だと言うホームページも存在する。「たこ焼き研究会」という名のホームページ、運営者は東京の人だったが。たこ焼きの遠いルーツは東京にあるのか??(※「たこ焼きの歴史」参照)
明治時代:もんじゃ焼き→持ち帰り用に改良→どんどん焼き
大正時代:どんどん焼き→関西では「一銭洋食」→ちょぼ焼き→ラヂオ焼き
昭和初期:ラヂオ焼きの具に「タコ」を入れて会津屋が「たこ焼き」考案
元祖とかルーツという話になると、各所から「ウチが元祖や!」「本家はウチのとこや!」と言い合いになってしまうのはありがちな話でがある。たこ焼きを含めたコナモン食文化のルーツが大阪か東京かというのは、結局のところよくわからない。確かなことは、人の集まる所に食文化は生まれるものである。
そして「コナモン」が何故大阪だけの食文化として強調されるのだろうか。
関東にもコナモン食文化は往々にして存在する。東京には言わずと知れた「もんじゃ焼き」もあるし、埼玉県の行田に行けば「ゼリーフライ」なる食べ物もある。さらに海外に飛んでもコナモン食文化は存在する。イタリアにはピザがあり、韓国のチヂミも有名だが、インド周辺の国々にはナンがあり、マレーシアにはロティチャナイもある。手軽なおやつとして、要はどこにでも「コナモン」はあるということなのだ。
ちなみにたこ焼きの元祖「会津屋」は、大阪USJ前「ユニバーサルシティウォーク」内にオープンした「大阪たこ焼きミュージアム」の中にも入っている。本当ならば玉出の店をお勧めしたいが場所が少しわかりづらいので、まあUSJ前の店でもそれなりに満足してもらえると思う。
◆大阪には一家に一台「たこ焼き器」は無い
結論から言うと「大阪には一家に一台たこ焼き器が置いてある」というのは間違いである。我が家にはたこ焼き器はなかったし、欲しいとも思わなかった。知人宅も持っていないところが多い。
少し歩いて商店街まで行けばたこ焼きの店も明石焼の店もあるからだ。
もちろんたこ焼きは大阪人の暮らしに馴染みの深い食べ物だが、わざわざ家で作るような料理ではない。「一家に一台たこ焼き器」説が本当ならば、大阪でたこ焼きの屋台は繁盛しないことになってしまう。実際、大阪の街中では至る所にたこ焼きの屋台や店を見ることが出来る。
たこ焼きを家で作るとすると下準備は面倒だし、たこ焼き用の鉄串で上手くひっくり返す技能も備わっていなければ、美味しいたこ焼きを作ることは不可能である。
大阪では核家族で夫婦共働きの世帯も多い。家業にそれなりに時間を割ける世帯でなければ家でたこ焼きを作るのが当たり前、という環境にはならないだろう。「たこ焼きは自作派」は大阪では至って少数派だと思う。
別に大阪ではたこ焼きを上手に焼く技術が、学校の家庭科で必修科目となっていることもない。
たこ焼きは昔も今も「店で買うもの」なのである。
◆明石焼って?


港区・八幡屋商店街「一番屋」の明石焼(18個600円)

「たこ焼き」とはまた別に「明石焼」というものも存在する。
明石というのはもちろんタコで有名な兵庫県明石市であるが、これは普通のたこ焼きと違い、やや大きめの形状で、ソースはかかっておらず、昆布だしの利いた薄味のタレをつけて食べるというもの。店によってはタレが生地に染み込ませていてそのまま食べるところもある。
明石に行けばこれは「玉子焼」と呼ばれている。明石焼について詳しく書かれている地元の「明石焼きネット」によると、ここにも「たこ焼きの元祖」との記述がある。確かに大阪の会津屋では「明石ではタコ入れとるで」の一言がたこ焼き誕生のきっかけとなったし、明石が元祖と名乗りたい気持ちはわからないでもない。
◆大阪の下町の店で食べるたこ焼き
道頓堀に店を構えるいわゆる観光客向けの「たこ焼き」は、一皿10個入り500円くらいが相場である。外はかりっと、中はふわっと、焼き方も丁寧に指導されているので味は保証するが、それでも観光客向けというよそよそしさを感じてしまう分値打ちだとは思わない。
大阪の下町で食べられる「たこ焼き」はそんなものではない。
基本的には100円単位で買える。
たこ焼きの大きさや中身のタコの大きさにもよるが4~6個入りで100円。
ウチの実家そばの屋台は6個100円だった。たこ焼き自体も生地はふにゃふにゃでタコも小さい。お世辞にも上手とは言えないのだが、昔からやっている店で、そこではオバチャンとも顔馴染みなのである。
たこ焼きが出来上がるまで世間話を交えながらのひと時は大阪の下町の風景。そして大体1個か2個は「おまけやで」と余分に付けてくれる。そしてオバチャンありがとう~と礼を言って帰るのだ。これが「大阪人とたこ焼き」の実像なのである。