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港湾労働者の街から大阪を代表する観光地に変わった「港区」を徹底レポート
せっかくの出身地だし、こうした超地元民的レポートも書きたくなったのでやることにした。 昭和の時代までは港区は今のような観光地でもなんでもなく、港湾労働者の街でしかなかった。 大阪港を中心に戦前から交易の拠点として、近代の産業化で都市規模が肥大していった頃の大阪の副都心的な位置にあったこの地域は重点的に開発されてきたが、同時に軍需関連施設も集中していたゆえ、大阪大空襲で区の面積の殆どが焼夷弾の餌食と化し、全てが焼け野原となった。 その後、戦災から立ち直ってからも引き続き港町としてその役割を担うエリアとして発展、さらに高度経済成長で地方から流入してきた人々が港湾労働者として従事し、隆盛を増すのだが、その一方でガラの悪い街へと変貌していった。 昭和40年代の港区は大阪一DQN密度が高い区だったと聞いたことがある。市立港中学校の当時の生徒が修学旅行で新大阪駅構内を乗っ取った、なんて話があるくらい。 これはまちBBS港区スレからの又聞きであるが。 確かに私が幼少期の港区、特に八幡屋のあたりは、ひどくガラの悪い印象があった。
今ではだいぶ落ち着いてはいるが、街中あちこちに不良少年がたむろし、商店街の横には日活ロマンポルノ(ノーパン喫茶とかもあったらしいですw)の映画館もあったり。そりゃもう、今で言う西成のあの辺りと変わらへん。 今ではポルノ映画館も潰れて、その場所には立体駐車場がありますけど。 さらに日本最大(当時)の観覧車である天保山大観覧車も登場し観光地化は加速。2006年には弁天町に西日本で最も高いマンション「クロスタワー大阪ベイ」も完成。 どーなるねん、ワシの地元は! ということで、港区の各所をこのページで順次レポートしていこうと思う。 >1ページ目へ続く |
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