となりのウトロ51番地

戦前、飛行場建設で動員された朝鮮人労働者の末裔が住む土地は不法占拠状態。土地問題解決に名乗りを上げた自称「自治会長」の朝鮮人は勝手に土地転がしをやっただけで逃亡、今なお泥沼の状態が続く。

ウトロレポート

ウトロその1ウトロその2

大阪民国ダメポツアー

更新履歴

在日土地問題の代表的地区「ウトロ」とは

京都駅から近鉄京都線に乗りおよそ20分、お茶の里、10円玉の絵柄の平等院でお馴染みの「京都府宇治市」。どこを見回しても閑静な住宅街と茶畑が広がるこの街の一角に、奇妙な地区がある。

宇治市伊勢田町ウトロ51番地。

今も在日朝鮮人ばかり200人程が住んでいるとされる地区である。かつては宇治の市街地に続く道の入口として「宇土口」と呼ばれていたものが、ある朝鮮人が「口」をカタカナの「ロ」と誤読したことから、「ウトロ」に転じた。

ウトロ地区に隣り合うすぐ南側には、陸上自衛隊大久保駐屯地がある。

ハングルで書かれてもわからんし

ウトロ問題は在日同士の揉め事、なぜか責任を日本に押し付ける

ウトロ地区の成り立ちは戦前に遡る。
ウトロ地区 - Wikipedia

第二次大戦中の1941年、当時の京都飛行場に隣接する日本国際航空工業の土地に、航空機工場を建設するために動員された労働者らへ、敷地の一画に飯場が作られたのがはじまりという。

当時、この労働者募集は兵役を免れる事を望んだ人が集まったもので、一部の朝鮮人や反日団体が主張する「強制徴用」とは訳が違う。

しかし1945年に京都飛行場は米軍の爆撃を受け、それが元で航空機工場の建設が中止されるやいなや、当然労働者は全て失職することとなる。その後、基地を接収したGHQからの退去勧告・朝鮮への帰国要求を拒否した元作業員の朝鮮人労働者の一部が、そのまま飯場の土地に不法に居座った。

それが現在に至るウトロ地区の成り立ちである。


「理不尽がまかり通る そんな国であってはならぬ」
ああ!まったくその通りだ!あ、あれ?
のちに土地の所有会社は合併で日産車体株式会社に移された。

日産車体側は、勝手に土地を不法占拠されているという理由で、ウトロ地区への水道などのインフラ整備を長い間認めてこなかった。
それは住民側や人権問題を訴える市民団体などが相まって大きな運動となり1987年に日産車体側が根負けして水道の敷設を認める結果になった。

日産車体側も、1984年から土地問題を解決しようとウトロ住民側に土地交渉を持ちかけていた。これに応じたのは「ウトロの自治会長」を名乗る「平山舛夫」こと「許昌九」という朝鮮人。

ウトロに水道を敷設した1987年、日産車体は許昌九にウトロの土地全域を3億円で売却した。しかしこの許昌九という朝鮮人はオノレが作った「西日本殖産」という会社に4億4500万円で土地を転売。いわゆる「土地転がし」である。そして許昌九は突然行方をくらます。

後に「西日本殖産」はウトロ住民に対し4億4500万で土地売却を持ちかける。
つまり許昌九個人がウトロの土地転がしで差額の1億4500万を丸儲けしようと企んだ訳だ。

しかしウトロ問題を書いている在日朝鮮系の記事を見ていると、不思議と許昌九の名前が出てこないのですねえ。
「日産車体が西日本殖産に勝手に転売」だなんて書いてますよ。もしくは平山という男と「通名」で隠してます。

そして遂に西日本殖産(許昌九)側がウトロ住民に立ち退き訴訟を起こすことに。
しかしウトロ住民は在日団体もひっくるめて「全て日本政府が悪いニダ」「日産車体が補償するニダ」と何故か日本に責任転嫁。

もうこれ以上はややこしいのでこっちのページとかこのへんを見てください。頭が痛い…

こういう在日同士のゴタゴタがウトロ問題の真相だというのに、相変わらず在日団体は「全ての非は日本側にある」の一点張り。2006年、土地の所有権が西日本殖産側にあるという判決が下り、法的に現在のウトロ地区は西日本殖産の土地である。

現在も、西日本殖産側とウトロ住民の間で土地契約を結ぶ形で、土地問題の解決を迫ろうという方向で話が進んでいるそうな。

とりあえずウトロは在日土地問題の代表的地区だ。生野区はもちろん、関西一円のニダーランドを探訪してきたダメポツアーが行かない訳にはいくまい。
そんなわけで、行ってきましたよ、ウトロへ。


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