こいつらよっぽど暇やねんなw
大阪市の長居公園でホームレスのテントが強制撤去されたことに抗議するため、パリの市民団体メンバーやパリ在住の日本人ら約20人が12日、大阪市パリ事務所を訪れ、同事務所の一室を一時占拠。窓から「大阪の野宿者と連帯を」と記した横断幕を掲げるなどの示威行動を行った。フランスでは最近、ホームレスの住宅確保が重要な社会テーマとして関心を集めている。
示威行動の参加者らは「野宿者の排除を二度と行わないでください」と日本語とフランス語で書かれた抗議文を同事務所に渡した。同事務所は抗議文を大阪市に送ると約束したが「企業誘致が事務所の役割」などとして話し合いには応じず、地元警察が退去を求めた。
参加者の1人で、自らもホームレス経験があるアルジェリア人の男性(36)は「日本のような偉大な国にたくさんのホームレスが(社会から)置き去りにされているのは奇妙だ」と話した。
職員2人の「大阪市パリ事務所」に20人もの団体で押しかけて占拠、やり口は過激派そのもの。
そういえば、2月5日の行政代執行で暴れ回っていたプロ市民200人の集団の中には、外国人もいましたね。おそらく極左大学から動員されてきたものだと思いますが、お前らプロ市民のせいでホームレス問題の本質がずれてしまうことに、気付いてないのか。
あの行政代執行の野次馬に来ていたオッサンらから見たら、どう考えても騒ぎにやってきただけにしか思っていない。あれだけ各マスコミから報道カメラが出動して、大々的に報道したくせに、プロ市民の正体について突っ込みを入れたのは辛うじて毎日放送くらいだった。
本来なら機動隊を動員するべき事態だが、当局は「成田闘争」でのトラウマを抱えてプロ市民には及び腰なのだという。これも日本の闇歴史の一つ。
三里塚 成田闘争 行政代執行 東峰十字路事件 - 1971
この映像にあるのは1971年の「東峰十字路事件」。成田空港工事に反対するプロ市民の集団と機動隊・警察との衝突で警察官3名が殉職している。

痴情の楽園大阪民国から逃げ出して、石原閣下と皇居と靖国神社に守られた地上の楽園と聞いていた東京にやってきましたが、
新銀行東京は凄まじいダメポ銀行だわ、渋谷に行ったら中核派のデモ隊との衝突を目撃するわ、
杉並高円寺・国立立川八王子、中央線沿線はアカの巣窟だわ、朝鮮総連本部は靖国の近所だわ、
足立区とか埼玉の東武線沿線は大阪顔負けのDQN貧民地帯だったりするわ、東京だって、大阪とそんなに変わりませんでした><
三里塚闘争は、日本の歴史に燦然として輝く闘争であると思います。日本は、庶民の政治参加は歴史的に非常に希少で、例外的だったのがこの時期と終戦直後および大正時代です。その時代のせり上がりの象徴として、日本民族は永遠に忘れないでしょう。(ついでに。三里塚闘争を暴力主義だと非難して共産党は三里塚・芝山空港反対同盟から除名されました。体を張らざるを得ないこと(=暴力対峙が必要なこと)は、人生において往々にしてあります。闘いを呼び掛けるものが、極まったら逃亡することもあるという事例として小生は記憶。)
三里塚闘争は、今のようなプロ市民によるものではなく、かなり広範な大衆参加の闘争ですし、まあ、今回とは意味が異なりますな。現場の警官じゃなく、国家が無茶苦茶なことをやって、作られた空港であるのは確かにそうですしね。「ぼくの村の話」(尾瀬あきら著)なんか、参考になるかと。
んで、おフランスですが、あそこの民族は「過激派」がデフォですからね。エドマンド・バークが嘆いております(笑)。まあ、バークの立場(保守主義)に立つかどうかは、理論と言うよりも好悪の念であり、フランス人の多くはそっちには立たない、ということかと・・・。
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プロ市民が形成された歴史を概略しますと、
・広範な大衆が参加した新左翼闘争の敗北、内ゲバによる解体(80年代まで)
↓
・先細りによる組織存続の危機に面し衣替え(90年代に徐々に)
・党派はその色を消して、模様替え
・反党派(小生など)は、党派と一線を画して、勝手にやらせてもらう
でまあ、小生もプロ市民の一味ですので、少し書いておきますと、大衆の政治的参加が広範になされれば、こういう言葉自身もなくなり、こういう無茶なありようもなくなると思います。
(門真市議のト田さんみたいな人が有難がられている限りは、なかなか来ないでしょうね・・・・)
K・マルクスよりも、H・アレントを!
あと、参加した側の知人のブログのURLを書いておきますね。
http://bund.jp/modules/wordpress/index.php?m=200702
(2月7日付け)
小生の考えもどきはこちら
http://red.ap.teacup.com/tamo2/
の、2月5日?付