不法占拠バラック「伊丹中村地区」

◆伊丹空港の裏歴史と在日コリアン集住地
大阪の梅田から北へわずか10キロ少々。かつては国際線もあった、大阪の空の玄関口「大阪国際空港」がある。
市街地のど真ん中にあるため長年、騒音問題で近隣住民と揉めた経緯もあり、関西国際空港が開港したあと、全面廃止される予定になっていたが、関空の地理的な不便さと将来の航空需要を考慮して、結局国内線に限って今でも現役で残っている。



戦前の昭和14年に開設され、戦時中は軍用飛行場として使われていた。戦争が終わるとアメリカ軍に接収され、その後返還されたのち昭和33年に「大阪空港」として開設、翌年、国際路線を設け「大阪国際空港」に改称される。一般的には「伊丹空港」と呼ばれている。

そんな伊丹空港だが、空港が出来て間もない戦時中、空港拡張工事のために多くの労働者が集められ、作業に従事していた。
その中には朝鮮人労働者も居たのだが、空港ロビーの反対側、つまり伊丹市側には今もその名残らしく、在日朝鮮人集住地がつい最近まで存在した。そこは「中村地区」と呼ばれていた。
戦後になって「帰る場所がない」として国有地だった場所を不法占拠して60年以上住み続けた経緯がある。

そんな中村地区の不法占拠住民に対し、伊丹市は近隣に市営住宅を建設し、そこに当該住民を住まわせることにした。
市営住宅は第一期工事が完成し、2007年2月16日に市側は中村住民を呼び寄せ「鍵の引渡式」を行ったのである。 その後、地区は全て取り壊され現在では跡形も無くなっている。
2007年に伊丹中村地区が現存していた頃、伊丹空港周辺を一周して現場の状況を調べてきた。
◆大阪モノレールに乗って伊丹空港へ
「世界最長の営業距離を誇るモノレール」としてギネスブックに登録されているという、大阪モノレールに乗り、終点の大阪空港駅で降りた。

空港がある場所は、大阪府と兵庫県、さらに豊中市と池田市と伊丹市の境界が複雑に入り組んでいる。

さらに空港ターミナルの建物内で大阪府と兵庫県の境がごっちゃごちゃになっているがいつまでも修正されないのはどういうことだろう。
空港に勤務する警察官も大阪府警と兵庫県警の両方が居る。
便宜上、伊丹空港と呼ばれているのは、空港敷地の大部分が伊丹市に属するからだろうか。

空港ターミナルビルの屋上に上がると、展望デッキがある。総ウッドデッキでえらいガーデニングしとるのだが、なかなかエエ感じな雰囲気で飛行機の離発着や滑走路の向こうに開ける大阪市街などを眺めることができる。眺めの良さを考えると夜景が綺麗そうな感じである。
国際線が廃止されて以降、廃れる一方なんじゃないかと想像していたが全くそんなことはなかった。展望デッキの横にはなぜか洒落たインテリアの店があったり、空港らしくない雰囲気。

空港をあとにして、伊丹空港の周りをぐるりと一周することにした。問題の中村地区を見に行くためだ。伊丹空港と名が付いているが、伊丹市街は空港ターミナルの反対側。伊丹市街へのアクセス手段はバスしかない。



◆猪名川と伊丹空港に挟まれるように存在する中村地区
国道171号線に架かる軍行橋までやってきた。

昔、毎日放送の「VOICE」で放送されたルール違反の河川敷ゴルファーが相変わらず居た。勝手に河川敷を自分達のゴルフコースに整備して、取材班に注意されたら、オッサンは開き直って訳の分からん論理を展開し、逆切れ、どつかれんぞしまいには!と剣幕を挙げて怒鳴りだすその醜態に「紳士のスポーツが泣いています」とオチをつけていた。
問題の中村地区はここ軍行橋を渡る手前で左折である。ただし車道は狭い。しかも抜け道として使うドライバーが多く通勤時間帯は危険だという。

伊丹空港の周辺を歩いていると見かける店舗は、パチンコ屋、ラブホテル、産廃、スクラップ、解体業、そんなところである。あとはカーディーラーくらいか。そんな中に古い地元の屋敷と、ボロアパートが点在する。総じて雰囲気はよくない。


軍行橋の下から河川敷に降りた。ホームレス小屋を横目に橋の向こう側に出る。大きな警告看板。ここでゴルフの練習をするなと書かれているが、地元のオッサン連中はおかまいなしだ。

すぐそこの車道には滑走路の終点から離陸する飛行機の姿を捉えようと、三脚を据えたカメラマンやらデートドライブ中のカップルが常時待機している。

そこから少し先に進んだ所から「中村地区」の集落が始まる。

この一帯全てが国有地で、その上に建てられた家屋や構造物はまるごと不法占拠となっていたのだ。屋上にプレハブ小屋が建った奇妙な建物の1階はスナックになっている。生活の匂いはするものの、人の気配がほとんどしない。

時折、抜け道として使う車が往来する。車両のすれ違いができない狭い道幅の区間が多く、危険な道だ。 しかし中村地区を通るのはこの道しかないのだ。

国有地を不法占拠、ということで、戦後の高度経済成長期にもこの地区へのインフラ整備は長らく手付かずだったという。空港近くの民家に施される防音工事も対象外、道は未舗装、水道も下水もない。
民家のすぐそばに航空燃料タンクがある。ひとたび火災でも起きれば危険極まりない場所だ。上水道は「人道上の配慮」から1974年になってから、特別に引いてもらっている。それまでは井戸水だったらしい。

だが、昔ならまだしも現在になってまで、貧しさで引っ越す金がなく仕方なく住み続けている、という訳でもない。立派に店を構える自営業者も多いのだから。それならばなぜ、頑なにこの土地に執着し続けていたのだろうか。


地区のあちらこちらに、大阪航空局が立てた「ここは国有地だ」ということを示す、緑の鉄柵が張り巡らされている。長い歴史の中で、空き家になった家の敷地などが、徐々に緑の鉄柵で囲われているものだろうと推測する。
中村地区の南側、桑津地区に建設されていた市営住宅が出来上がり、そこに中村地区の住民が入居するとともに、地区の歴史に幕を閉じた。現在では更地が残るのみだという。戦後が、また一つ消えた。


桑津橋側に近い場所に朝鮮学校がある。

投稿者: 大阪民国案内人

ああそうや!また大阪か!悪かったな!